疑殆録とは何ぞ

    2016/6/1

    このサイトを立ち上げてから、すでに10年が経とうとしています。当時院生だった管理人は学部生を交えた読書会に参加しており、このサイトはそういった右も左も全く分かっていない学部生を対象にしてきました。しかし、管理人は今や学部生と輪読する機会がなくなり、それよりも院生を対象に論文投稿や学会発表について加筆すべきでないかとも考えつつあります。

    もともと年に1回更新するかしないかくらいの手抜きぶりですので、どうなるか分かりませんが、そういう考えもあるということをここに記しておきます。

    2006/7/2

    このサイトは、日本思想史学の研究方法、Wordやインターネットの活用方法などについて、管理人がこれまでに見聞し、考察した所を集録したものです。管理人は斯学を学び始めてまだ日が浅いため、本来とても人にものを教えられるような資格はありません。しかし、管理人以上に右も左も分からない学部生にとっては、多少杜撰であっても、このようなサイトもないよりはあった方がよいのではないかと思い、作ってみました。

    なお、タイトルの「疑殆録」とは、読んで字の如く「疑わしく殆うい記録」という意味です。朱子の『近思録』や王陽明の『伝習録』、顧炎武の『日知録』などに肖って、管理人も『論語』の一節から題を取ってみました。

    子張、禄を干めんことを学ぶ。子曰く、「多く聞きて疑はしきを闕き、慎しみて其の餘りを言へば、則ち尤め寡し。多く見て殆ふきを闕き、慎みて其の餘りを行へば、則ち悔い寡し。言に尤め寡く、行に悔い寡くんば、禄は其の中に在り」と。(『論語』為政第二)

    恥ずかしながら、管理人は「多く聞き」「多く見て」なんてことは出来ていないため、このサイトには、古の聖人が排除するようにと説いた「疑はしき」や「殆ふき」がそこら中に紛れ込んでいるはずです。ちゃんとした人がこのサイトをザッと眺めれば、「勝手にそう思い込んでいるようだけど間違ってる」「基本がまるで分かっていない」「それよりももっとよい方法がある」などなど、突っ込みどころは幾らでも見付かることでしょう。

    ですから、読者諸氏はあまりこのサイトの記事を鵜呑みにせず、他のサイトを覘いてみたり、あるいは身近にいるよく知っていそうな人に尋ねるなどして、「多く聞き」「多く見て」、そして「疑はしきを闕き」「殆ふきを闕き」ということをしてください。もし読者諸氏がこのサイトの記事の通りにした結果、如何なる「尤め」や「悔い」が生じたとしても、管理人はその一切の責任を負い兼ねます。このサイトの記事はあくまで話半分、参考程度に受け取ってくださいますよう、お願いします。また、もしご親切にも「ここがこう間違っている」ということをメールなどで指摘してくだされば、喜んで修正してまいります。

    ご理解ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

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